プロフィール

幼少期から自己批判・自己否定が強く、自分に自信がなかった私。

その影響で社会に出ても失敗ばかり、子育てでもイライラしてばかりだった私が、

セルフコンパッションと勇気づけの関わりを学ぶことで

37年の自己否定癖を手放し

自分の感情も、思考も、全てを愛おしく抱きしめられるようになりました。

「いない方がいい私」が、

「自分も家族も大好き、生きていて幸せ」

になるまでのヒストリーをお読みください。

あなたの人生を照らすヒントが、見つかるかもしれません。

幼少期:「正解」を求めて慎重に行動する子ども

物心ついたころから、周囲の言葉に耳を傾け、正解を探しながら行動する子どもでした。
「自分はどうしたいか」よりも、「この場では何が正しいか」を優先し、慎重にふるまっていました。
わからないことがあっても誰にも聞けず、知っているふりをしてやり過ごしていました。

小学校低学年:先生の言葉を3年間守り続けた

小学校入学時、先生に言われた「話を聞くときは手を椅子の後ろで組む」というルール。
その教えを転校するまでの3年間、忠実に守り続けました。
「言われたとおりにやる優等生」として過ごした幼少期でした。

小学校高学年:転校先での孤独と戸惑い

小学4年生で転校し、知り合いが一人もいない土地へ。
誰と何をどう話せばいいのかわからず、毎日が手探りでした。
「一緒に帰ろう」と誘ってくれた子がいましたが、帰り道で一言も話せず…。
言いたい言葉はあったのに声に出せず、家に帰って一人で涙を流しました。

休み時間は一人で廊下を歩いて時間をつぶすか、教室の本棚で立ち読みするふり。
本を開いてはいたものの、心の中の孤独が張り付いて、内容は頭に入りませんでした。

教卓に立てこもった小4の一学期

ある日、気づけば教卓の下に立てこもっていました。
なぜそうしたのか覚えていませんが、心が限界だったのだと思います。
このことについて、家で親から何か言われるかと思っていましたが、何もありませんでした。
本当は、気にかけてほしかったのだと思います。

原因不明の胸の痛み

呼吸のたびに刺すような激しい痛みが走るようになり、何度も病院を受診。
診断は肋間神経痛でしたが、なぜ痛むのか自分でもわかりませんでした。

「戻りたくない!」初めての涙

小4の夏休み、祖父母の家から今の住む町に戻る日。
玄関を出た瞬間、帰りたくなくて号泣しました。
初めて「嫌だ!」という気持ちを家族の前に出せた瞬間でした。
けれど、親からの共感の言葉はなく、私もそれを求めることができませんでした。
結局、自分で泣くのを止め、静かに帰りの車に乗り込みました。

なぜ泣いたのかを説明することは、当時の私にはとてもできませんでした。
言葉にする余裕も勇気もなく、ただ泣くことが精一杯でした。

反省会という名の「大罵倒会」

その後、心の中で「大反省会」が始まりました。
「なんでこんなことも言えないんだ!」
「ただ一言伝えるだけじゃないか」
「お前のせいで嫌な思いをさせた」
「人に迷惑ばかりかけて、何の役にも立たない」
自分を散々責めたあと、「次はこうしよう」と解決策を立て、
「ごめんなさい、ごめんなさい。次こそは頑張ります」と誓うまでが一連の流れでした。

役に立たなければ、ここにいる価値がない

次第に、「自分が教室にいること」そのものに罪悪感を抱くようになりました。
「私なんかがいて、ごめんなさい」
「こんな私をクラスの一員にしてもらっている。申し訳ない」
せめて、できることで役に立たなければ――そう思い、放課後にクラス全員の机をきれいに並べることを始めました。
私にとって机並べは『罪滅ぼし』でした。

親をあきらめた日

何か特別な出来事があったわけではありません。
ただ、本当に学校が辛くて、ある朝「行きたくない!」と大号泣しました。
はっきりと「行きたくない」と言えたのは、初めてでした。
これまで学校での嫌なことを親にほとんど話したことがありませんでした。
なぜ行きたくないのか問われても、答えられませんでした。ただ、とにかく行きたくなかったのです。

受け入れてほしかったのに

泣き叫ぶ私を、母は無理やり玄関に放り出しました。
私は泣くのを止め、真っ赤な目で必死に登校しました。
そのとき、心の中で決めました。
もうお母さんに期待するのをやめよう。
お母さんを頼るのをやめよう。
家で「辛い」と言うのをやめよう。

「もう何も望むまい」

親は毎日ごはんを作ってくれます。
お風呂を沸かしてくれます。洗濯や掃除もしてくれます。
それだけで十分です。それだけで感謝すべきことです。
それ以上、何も望むまい。
自分の心に深く釘を刺すように、何度も繰り返し唱えました。

中学生時代:「罵倒会」が「断罪会」へ

中学生になり、休み時間に一緒にいる友達を作れるまでに、対人関係は上達していました。
それでも、自分を責める「大反省会」は毎週末続いていました。
言いたいことを言えなかった、うまく切り返せなかった、二人組で余ってしまった——些細な出来事を過剰に責め立て、まるで罪を犯したかのように断罪していました。

「私は本当はいない方がいいのでは」

仲良し3人グループになりましたが、他の二人が特に仲が良く、私はいつも後ろについていく存在でした。
「この子たちは二人でいた方が楽しいのでは?」
「私は無理やり入れてもらっているだけ、本当はいない方がいいんじゃないか?」
そんなふうに、自分の存在を否定するようになっていきました。

「生きていてごめんなさい」へと変わる罪悪感

小学生の頃は「教室にいてごめんなさい」でした。
しかし中学生になると、それは「生きていてごめんなさい」に変わりました。
「私は消えた方がいい存在」
「何の役にも立たない、いる価値のない人間」
「人間として当たり前のこともできない」
「死ねばいいのに、まだのうのうと生きている」
罪悪感がエスカレートし、生きていることそのものが罪だと感じるようになりました。

罪に罰を—「心の自傷行為」

罪には罰が必要。
そう考え、自分をとことん貶め、心から反省し謝罪することを自らに課していました。
私にとって、「自分を責めること」が義務になっていました。
今の私は、当時の「大反省会」を「心の自傷行為」と呼んでいます。
振り返れば、悲劇のヒロインのようにも見えるかもしれません。
でも、当時の私は間違いなく、本気で苦しんでいました。

もし誰かに思いを打ち明けて、受け止めてもらえていたら

その時、もし誰かに自分の思いを打ち明けて、ただただ受け止めてもらえていたら、きっとここまで自分を罰することはなかっただろうと思います。
誰にも言えず、誰にも理解してもらえないと感じる中で、私の心はどんどんと自分に厳しくなり、負のループに陥っていきました。
でも、もしその時に「話しても大丈夫」「あなたの気持ちはそのままで受け入れられる」と感じられる誰かがいたら、きっと少しでも軽くなって、心の奥にある本当の声に気づけたかもしれません。
私が感じていたことを理解してくれる人がいれば、そのことだけで、少しだけでも自分を許す余地ができたのではないかと思います。

新社会人時代:上司の意見が自分への否定に聞こえる

新人時代、右も左もわからず、自分の意見を上司に伝えるのが非常に難しかったです。

自分の考えが全て間違いだと思えて、何も浮かばない状態に。

さらに、上司の意見が自分への否定に聞こえてしまい、ますます自信を失いました。

自分の意見を発表する際には、「これがよくないかも」「違うかもしれません」と、自分の考えを否定してから言うしかありませんでした。

「正解を出すべき」という思い込みから孤独に


私には「最初から正解を出すべき」「間違いは他者に指摘される前に気づくべき」という思い込みが根強く、意見を他者とすり合わせる経験が不足していました。

そのため、上司に頼れず、期限ぎりぎりまで一人で抱え込んでしまいました。
その結果、厳しく指導されることが繰り返され、就業時間内では終わらず、夜遅くまで働くことが常態化しました。

身体の不調と心の崩壊

職場では「自分は他の人と永遠に埋まらない溝がある」と感じ、深い孤独と責任感で身も心もボロボロに。
原因不明のめまいや食欲不振で3キロ痩せ、十二指腸潰瘍と帯状疱疹を立て続けに発症しました。
金曜日には、帰宅時やお風呂、ベッドで泣き通しました。

このまま仕事の成果も上げられず、早死にするのではないかと感じていました。

夫との結婚を機に退職。子どもが生まれると、今度は子育ての苦難が始まりました。

一人目の子育ての葛藤

結婚して2年後、息子を出産しました。育児は時間通りに進まず、やりたいこともできず、やってほしいことは拒否されることばかりでした。パートの仕事を始めた私は、毎朝時間通りに家を出られないことにイライラしていました。息子を保育園に送りながら、「もうなんなのー!!」とイライラを爆発させた独り言を叫ぶのが日常でした。

息子の発達と焦り

息子は運動発達が遅めで、繊細な気質もあり、できないことに敏感でした。2歳後半になっても着替えや靴の脱ぎ履きができず、私は焦りながら工夫して手伝いました。しかし、息子は「できない」と脱力して拒否。さらに、保育園の先生から「お母さんが手伝ってるからやらないんですよ」と言われ、私をどんどん追い詰められていきました。息子のできることを増やすことが「使命」だと感じ、「やらせたい私」と「できない息子」の間で対立が生まれました。

育児のストレスと自分の限界

寝かしつけ後、疲れて家事ができず、スマホを眺める時間が長くなり、深夜1時にやっと皿洗いをしましたが、寝不足で立ち寝をしてしまうこともありました。夫のいる日は大抵時間に縛られない予定が組まれていたこともあり、私の辛さが夫に伝わらなかったのも私を孤独にしていました。

息子との接待遊びと感情の乖離

息子は負けず嫌いで、二人で野球ごっこをしていると、息子が15点取る中、私がたった1ヒットでも取ろうとすると厳しい目つきで阻止されました。絶対に負けを許さない息子に合わせて遊ぶうちに、次第に「私はこの人の奴隷なんだ」と感じ、感情が無くなったような気持ちになりました。

爆発するストレスと自己否定の繰り返し

時々、小さな不満が積もり、「え?そんなこと?」というきっかけで私は爆発し、息子が空気を読んで言うことを聞くという流れがありました。さらに、ストレスがたまると、就職したての辛い時期を思い出し、家族が寝た後に皿洗いをしながら泣き、そのまま布団の中でも自分のダメなところや辛かったことを繰り返し思い出していました。

第二子の娘を出産後、慌ただしい毎日に追われる中で、自分を変えたいと思いつつも、動き出せない日々が続いていました。

セルフ・コンパッションとの運命的な出会い

SNSでHSC子育てについて発信している方のオンラインサロンに参加したことが、私にとっての転機でした。そこで出会った「セルフ・コンパッション(自分へ思いやりを向けること)」という考え方。これが私の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。勉強会の中で、「これだ!」と感じて、即決で入会し、講座代金を振り込んだその瞬間、まるで新しい自分への扉が開かれたような感覚がありました。

自分をジャッジせずに受け入れる方法を学んだ日々

セルフ・コンパッションとは、「悩んでいる大切な友人に思いやりを向けるのと同じように、自分にも思いやりを向けること」です。トレーニングを始めた当初は、正直、何とも言えない気味の悪さを感じました。特に日記を書くとき、自分の気持ちを素直に吐き出し、それを思いやりの言葉で受け止めることに、強い抵抗を感じたのです。自分を断罪するのが当たり前だったので、「本当に自分に優しくしていいのか?」という疑念が心に湧き、トレーニングを止めたくなりました。それでも、導いてくれるサロンの代表を信じると決めたので、気味が悪いまま続けました。すると、少しずつその感覚が変わり始めました。

最初は言葉にできなかった優しさを、「全肯定オカン」という存在を作り出すことで表現できるようになったのです。私が幼少期を過ごした大阪の、温かい理想のお母さんの言葉を借りて、心の中で「それはしんどかったなあ」「イライラするのも無理ないて」「あんたはようやってる」と声をかけてあげました。この言葉が、まるで心の奥深くに染み込んでいくようでした。

イライラも、もやもやも、すべて受け入れる

以前の私は、何かにイライラしたり、もやもやしたりすると、それをすぐに否定していました。「こんなことでイライラしてはいけない」「こんな自分はダメだ」と。自分の感情をジャッジして抑えつけていたのです。でも、セルフ・コンパッションを学んだことで、私はその考えを完全に覆しました。今では、どんな感情も、たとえイライラしていようと、もやもやしていようと、それを否定することなく、そのまま受け入れることができるようになりました。

「人間だもん、イライラすることもあるよね」「我慢してたんだよね」と、自分に優しく語りかけることで、心の中にあった重たい感情が軽くなり、すっきりとした気持ちになれるようになりました。それはまるで、心の中の嵐が静まった後の、晴れ渡る空のような清々しさでした。

期待しなくても、自分の言葉で自分を支えられる喜び

以前は、夫に「わかってほしい」という思いが強く、夫の返事に期待しては、その通りにならないことに不満を感じていました。しかし、セルフ・コンパッションを学んだことで、私は自分の一番の理解者になれました。自分が本当に欲しい言葉は、実は自分が一番わかっている。そして、その言葉を自分自身にかけてあげられることに気づきました。その瞬間、私は「夫に返事を期待しなくても、私には私の言葉がある」と心から感じることができました。そして、イライラした感情をその日のうちに解消し、夜もぐっすり眠れるようになりました。

疲れを認め、心から謝る勇気

子どもたちの要望に応えられないとき、以前ならイライラを爆発させてしまっていた私。しかし、セルフ・コンパッションを学んだ今、私はそれをもうしなくなりました。「大好きだから応えたいけれど、今は疲れていてできないんだ。ごめんね」と、正直な気持ちを伝え、謝ることができるようになったのです。この小さな変化が、私の心を大きく変えました。

心からの感謝と愛を伝える

「いてくれてありがとう」「大好きだよ」。そんな言葉を、心から子どもたちにも夫にも伝えられるようになりました。これまではどこか照れくさくて言えなかったその言葉。今では、毎日家族に感謝と愛を伝えることが、当たり前のようにできるようになったのです。すると、不思議なことに、子どもたちや夫も、些細なことでも「ありがとう」と言ってくれるようになりました。言葉ひとつで、家の中の空気が優しく、温かくなったように感じます。

「完璧じゃない」自分を認め、全てが愛おしく思えた

もちろん、日々は完璧ではありません。心のバランスが崩れてイライラしたり、もやもやしたりすることもあります。でも、そんな自分も、家族も、許せるようになったのです。完璧を目指すのではなく、その日を乗り越えた自分と家族を愛することにしたのです。完璧じゃない自分を愛することができたからこそ、家族の不完全さも愛おしく思えるようになったのだと思います。この変化は、私にとって人生を逆転させるような、大きな一歩でした。

私の魅力は、過去の苦しみから生まれたもの

これまでの苦しみが、私にとっての魅力や強みになったことに気づいた瞬間、涙が止まりませんでした。悩み続け、苦しみ続けたからこそ、他の人の痛みに寄り添えるようになった。私が経験したこと、感じたこと、そのすべてが私を作り上げているのだと。

「疲れやすい」「悩みやすい」と自分を否定してきたけれど、その特徴こそが私の魅力だと心から思えるようになりました。過去の自分を愛せるようになり、その思いこそが私の力であり、これから私ができることを形作る土台となったのです。

私はオンラインサロンで、他の人をサポートする役割を担っています。

オンラインサロンでは、自分がどれほど多くの人と同じような悩みを共有していたかに気づきました。仲間はたくさんいたのです。この文章を今読んでくださっているあなたにも、「一人じゃないよ」「私もいるよ」と、心から伝えたいと思っています。

セルフ・コンパッションの力を伝えたい

長年の自己批判に苦しんでいる方々に、この解放感をぜひ体験してほしいと心から思います。自分の失敗や苦手な面に温かく寄り添い、思いやりをもって抱きしめることで、苦しみがほどける感覚を味わってほしいのです。セルフ・コンパッションは、ストレスを自分や他人にぶつけることなく消化する力を私にくれました。

苦しみを解放するサポート

だからこそ私は、自責と他責の苦しみを抱えた方々を解放するカウンセリングをしたいと考えています。どんな困難な状況でも、「私には、私という世界一の味方がいる」と思える人生を届けることが、私の目指す道です。

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