プロフィール

心理カウンセリング『ねがいばこ』
カウンセラー(公認心理師 / 臨床心理士)のななかみ奈緒です。

当カウンセリングルームでは、
自己否定が強く生きづらさを抱えていた元“いい子”の私が、
『ネガティブ感情も、責め癖も』まるごと抱きしめる心理療法を通して、
あなたらしく、安心して生きられるためのサポートをしております。

子どもの頃から、まわりに合わせて「いい子」でいようとし続けた私は、
失敗や迷惑を極端に恐れ、自分を責めることでなんとか生きてきました。
大学で心理学に出会い臨床心理士の道を選んだあとも、恋愛・仕事・子育ての場面で同じパターンをくり返し、限界まで自分を追い込んだことがあります。
息子の登校しぶりをきっかけに、初めて自分のネガティブな感情をそのまま受け入れる方法を学び、その奥に「大切な人を幸せにしたい」という揺るぎない愛があると気づきました。
今は、自身の経験と心理専門職としての知識・経験を生かして、自分を責めてばかりいる方が「不完全なままで大切にされていい」と感じられるようになるお手伝いをしています。

より詳しいプロフィールを読んでみたい方は、以下の目次よりご興味のある項目にお進み下さい。

目次

幼少期 ―― まわりに合わせて、いつも緊張していた子ども時代

思春期 ―― 自分を責めて耐えることを覚えた頃

大学〜社会人 ―― 心理学との出会いと、対人関係のつまずき

子育て期 ―― 思い通りに進まない毎日と、再びあふれた自己否定

転機 ―― ネガティブ感情を抱きしめたとき、見えてきたもの

今の私 ―― 繊細さを強みに変えて、「自己受容の技術」を届けたい

 

幼少期 ―― まわりに合わせて、いつも緊張していた子ども時代

私は子どもの頃から、まわりの空気を敏感に感じ取るタイプでした。
怒られたくない、嫌われたくない。
そんな気持ちがいつも先に立って、自然と“大人の期待に応える良い子”を演じていたように思います。

ちょっとした注意が胸にズキンと刺さり、
「失敗しちゃいけない」「ちゃんとしなきゃ」と
自分に小さくプレッシャーをかけながら毎日を過ごしていました。

悲しいことや不安なことがあっても、泣くと長く叱られたり、
「もっと〇〇しなさい」と“正しさ”で上書きされてしまうことがよくありました。
気持ちよりも正しさが優先される時間の中で、
「こんな気持ち出しちゃいけない」と自分をしずかに責め、
感情を押し込めるクセがついていきました。

学校では、宿題を忘れそうになるだけで心臓がバクバクしたり、
「わからない」と言えずに固まってしまうことも多くありました。
そんなとき私は、
「ちゃんとできなかった自分が悪いんだ」と小さく自分を責めることで、
その場をなんとかやり過ごしていたように思います。

気持ち悪い、苦しい、怖い……。
そんな訴えを「大げさ」「気にしすぎ」と受け取られることもあり、
「どうせ言っても伝わらない」と考えるクセもその頃につきました。
困りごとやつらさを一人で抱え込み、
“だれにも迷惑をかけないように静かに我慢する”という生き方が、
子どもながらに身についていったのだと思います。 


思春期 ―― 自分を責めて耐えることを覚えた頃

小4で転校した私は、知らない土地で、知らない人たちの中にぽつんと放り込まれました。
どう話せばいいのか、何が“正解の振る舞い”なのかがわからず、
休み時間は廊下を歩いて時間をつぶしたり、本棚の前で「読んでいるふり」をして過ごしていました。

誰かが声をかけてくれても、うまく返せない。
気まずさをごまかして帰り道で泣いてしまう。
——そんな日々が続くと、「話せない自分」が悪いように思えてきました。

やがて、学校でつまずくたびに、心の中で“反省会”を開くのが習慣に。
小さな出来事でも、

  • 「なんであんな言い方したんだろう」
  • 「私のせいで相手がイヤな思いをしたはず」

と必要以上に背負い込み、最後は「次こそは頑張ります」と自分に誓って締める……。
こうやって自分を責めることで、なんとか次の日も学校へ行く力をつないでいました。

「行きたくない」と初めて言えた朝

ある朝、どうしても学校に向かう力が残っておらず、大泣きしてしまったことがあります。
理由はうまく説明できない。けれど、とにかく行けない。心がいっぱいだったのだと思います。

うまく受け止めてもらうことは叶わず、私はその日、涙を拭いて登校しました。
登校する道すがら、心の中でそっと決めました。

「もう、お母さんに期待するのはやめよう」
「家で『つらい』って言うのはやめよう」

誰かに話すより、黙ってやり過ごした方が迷惑にならない——
そんな思い込みが、この頃にはっきりと形になっていきました。

友達ができても、安心するどころか、
今度は「嫌われないように」「迷惑をかけないように」に意識が向くように。
休み時間のちょっとした沈黙や、グループのバランスまで気になって、
帰宅するとまた“反省会”が始まりました。

誰も気にしていないような些細な出来事でさえ、心の中では大問題。
「私はいない方がいいのでは」と思うほど、罪悪感はどんどん膨らみ、
“自分を責めること”が日常の呼吸のようになっていきました。


大学〜社会人 ―― 心理学との出会いと、対人関係のつまずき

自分の気持ちを抑えたり読み取ったりしながら生きてきた流れで、
自然と“心そのもの”に興味が向くようになり、大学では心理学を専攻しました。

「どうして人はこんなふうに感じるんだろう」
「なぜ私は“自分責め”に向かいやすいのだろう」

そんな問いが、初めて“理解できる言葉”に出会っていく感覚でした。
学びを深めるうちに、大学院に進み、臨床心理士として歩み始めました。

一方で、人との距離感には相変わらず迷いがありました。
初めての恋愛では、
「嫌われないように」「迷惑をかけないように」と気にしすぎて言葉が出なくなったり、
真剣な話を切り出しても受け止めてもらえなかったりして、
「やっぱり私が悪い」「もっと頑張らなきゃ」と自分を責め続けました。

これは恋愛の問題というより、
ずっと昔から続いていた「気持ちを飲み込む癖」や「自己犠牲のパターン」が、
そのまま人間関係に出ていただけだったのだと、今では思います。

社会人になってからも、
“決まっていること”をこなすのは得意でも、
正解のない中で自分の意見を言うことに苦戦しました。

頭に浮かぶものはどれも間違っているように感じ、
意見を求められる場では
「自信はないんですが……」「違うかもしれませんが……」
と、保険の言葉をつけずにはいられませんでした。

早めに相談した方がいいと分かっていても、
否定されることが怖くて上司を頼れず、
一人で抱え込み、ぎりぎりになって厳しく指導される。

そんな悪循環の中で、自己評価はどんどん下がり、
「普通に笑うことすら許されない」と思い込んでいた時期もあります。

やがて、心だけでなく身体も限界を迎え、体調を崩したことをきっかけに退職。
次は、子育てという新しいステージが始まりました。


子育て期 ―― 思い通りに進まない毎日と、再びあふれた自己否定

子どもが生まれてからの毎日は、それまでの人生で経験したことのない連続でした。
育児は時間どおりに進まず、家事は途中で何度も中断され、
「今日もできなかった」「また間に合わなかった」と自分を責める気持ちが、
1日の終わりの“心の口癖”になっていきました。

パートを始めてからは、特に朝が大変でした。
時間に追われる中で、思うように動いてくれない息子。
焦りと不安が積み重なると、どうしても怒りが込み上げてしまい、
車に乗せたあと、ひとりで爆発するように叫んでしまう日もありました。

息子は丁寧で慎重なところがあり、新しいことや苦手なことには時間がかかるタイプ。
「できるようにしなきゃ」「教えなきゃ」と頑張るほど、息子は抵抗し、私は焦る。
園の先生の何気ない一言に落ち込むこともあり、
「私のせいでうまくいっていないのかもしれない」と自分を責める日々でした。

寝かしつけでいっしょに寝落ちしてしまい、
深夜に起きて皿洗いをしながら、疲れと涙があふれてくる。
“怒る自分も嫌い”“我慢する自分も苦しい”という矛盾の中で、
どうすれば抜け出せるのかわからずにいました。

やがて第二子が生まれ、さらに慌ただしくなる毎日の中で、
心のどこかでつぶやく声がありました。

「本当は変わりたい」
「いつまでも過去のパターンに引きずられたくない」
「自分を責め続ける生き方を手放したい」

その小さな声が、のちに訪れる大きな転機への最初のサインでした。


転機 ―― ネガティブ感情を抱きしめたとき、見えてきたもの

息子が小学生になってから、夏休み明けの朝、
「学校に行きたくない」と泣いて動けなくなることが増えました。

仕事の準備をしながら、
「息子の不安を受け止めたい私」と「どうしても時間がない私」の間で引き裂かれるような気持ち。
“どうにかしないと”“このままでは私も息子もしんどいまま”という焦りが募っていきました。

そんな中、ある心理療法に出会い、
初めて“これまでとは全く違う方法”で自分の感情と向き合うことになりました。

それは、
ネガティブでとても口に出せないような本音を、そのまま書き出し、
否定せずに、あたたかい眼差しで抱きしめること。

半信半疑のまま、息子との関わりで溜め込んでいたイライラや不安をノートに書き出してみると、

  • 「もう少し楽に育てたい」
  • 「どうしてうまくいかないの」
  • 「この子が困る前に、私がつぶれそう」

など、どろどろした感情があふれてきました。

でも、そのひとつひとつに
「そう思うよね」「それだけしんどかったんだよね」と寄り添ってみると、
感情がシュワッと溶けるように軽くなり、
静かに浮かび上がってきたのは、とてもシンプルな願いでした。

「息子が幸せでいてほしい」
「安心して生きていてほしい」

どろどろした感情の奥には、
ずっと変わらなかった“あったかい愛”があったのだと気づいた瞬間、
自然と涙がこぼれました。
それは、“本当の自分”と再会したような気持ちでした。

「ママ、すき」と言われた夜

ある日の夜、私が1歳の娘とお風呂に入っているとき、
息子がドアを開けて「線路が壊れたから直して」と頼んできました。

正直、その日は私も疲れがたまっていて、
「なんで今なの?」というイライラが込み上げました。
以前の私なら、そのまま怒ってしまっていたかもしれません。

けれどそのときは、湧き上がる感情をしっかり感じたうえで、
ゆっくりと言葉を選んで伝えました。

「あなたのことは大事。
でも、今日はママもとても疲れていて、
落ち着いて返事ができそうにないの。ごめんね。」

すると息子は、少し考えて、ぽつりとこう言いました。

「ママすき」

胸の奥が一気にあたたかくなり、涙が止まりませんでした。

怒らなくてもいい。
無理に合わせなくてもいい。
“ありのままの私”でいても、愛はちゃんと届く——

そんな大切な気づきを、息子がくれた出来事でした。


今の私 ―― 繊細さを強みに変えて、「自己受容の技術」を届けたい

それからの私は、「できなかった自分」を責めるのではなく、
“それだけ頑張っていたんだね”と受け止めることを意識するようになりました。

すると、心に少しずつ余裕が生まれ、
育児がうまくいかない日も「今日はここまでできた」と思えるように。
息子の欠席や遅刻にも過度に反応しなくなり、
そのうちに彼は自然と学校へ行けるようになっていきました。

私は今でも、慣れない場面で緊張したり、
人の言葉を深読みして疲れてしまうことがあります。
けれど、その繊細さがあるからこそ、
人の気持ちを丁寧に感じ取れたり、
相手の世界をそっと大切に扱うことができます。

かつてはコンプレックスだった特徴が、
今ではカウンセリングに欠かせない“私の魅力”になりました。

自分を好きになることは、精神論ではありません。
正しい方法と、寄り添ってくれる人がいれば、
誰でも身につけられる“技術”だと私は思っています。

私は、その技術を教えてくれる伴走者に出会ったから変われました。
今度は、あなたの伴走者になりたいと思っています。

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