『コンプレックスを魅力に変える!キラキラ毒出しセラピー』
心理セラピストのななかみ奈緒です。
私は、
長年の自己批判癖を解消し、
「わたし大嫌い」を「わたし大好き」へと変えるセラピーを
専門としております。

実は私自身、こどもの頃から自己批判・自己否定が強く、
「ダメな自分が大嫌い」でした。
その影響で社会に出ても失敗ばかり、
子育てでもイライラしてばかりでしたが、
自分のドロドロしたネガティブ感情に優しく気づき、
愛おしく抱きしめられるようになったことで、
37年の自己否定癖を手放し
「どんな自分も大好き」と思えるようになりました。
今この文章を読んでくださっているあなたは、「自己批判」「自己否定」していますか?
その癖は、変えることができます。
あなたの人生を逆転させるヒントを、この物語の中から見つけてみてください。
幼少期 ——— 繊細で失敗を恐れる子
繊細で怖がりな「良い子」
兄と弟に挟まれた唯一の女の子として生まれた私。
物心ついた頃から、いつも母の横にくっついて歩き、
教えを忠実に守る「良い子」でした。
おそらくは生まれつき繊細な気質で、とても怖がりで慎重。
大人のちょっとした注意が特大の雷のように感じられ、
常に失敗を恐れていました。
泣くと説教される
幼稚園~小学校低学年の頃
私は度々、大泣きして止まらないことがありました。
散々泣いたあと待っていたのは
『母の説教タイム』。
「あなたは△△だから、もっと〇〇にならないといけない」
といった母自身の考えを
怒った母からつらつらと説かれ、
それをひたすら聞くだけの時間です。
少しでも「それは違う」と言おうものなら説教タイムが長引いてしまう…。
私は何も言わず、母の気が済むまで聞き続けました。
終わるころには私は無感情の放心状態になっていて、
「私が泣いたのが悪かったんだ。泣いちゃダメだ。
次は泣かないようにがんばろう」
と心の中で繰り返し唱えていました。
ネガティブ感情を出すこと=悪
という感じ方は、この頃できたのだと思います。
失敗を過度に恐れていた
私は失敗を恐れるあまり、ひた隠しにする子でもありました。
幼稚園時代、折り鶴の折り方がわからなかったときのこと。
先生に聞く勇気が出ず、隣の子の手元を見るのも「悪いこと」と思い込み、
涙をこらえながら折っているフリをしてやり過ごしました。
小学校では、宿題をやり忘れていたことに気づくと、
心臓バクバク、冷や汗びっしょりになりながら
休み時間にトイレで必死に書きました。
失敗は私にとって、絶対にしてはいけない「罪」でした。
訴えを受け入れてもらえず
小3になると、幼稚園時代の友だちとクラスが分かれ、一人ぼっちに。
ストレスのせいか、
「下着のゴムがきつくて気持ち悪い」と訴えるようになりました。
母はオーバーサイズの下着をいくつか買ってきてくれましたが、
それでも「気持ち悪い」と私が拒むと、
私を夜のベランダに閉め出したのです。
当時、母としてはそうするしかなかったのでしょうが、
私は「言っても聞いてもらえない」と知り、
その後は下着のゴムが気になっても我慢するようになりました。
小4で転校 ——— 孤独から生まれた自己批判
転校先での孤独
小学4年生で親の転勤のために転校し、知り合いが一人もいない土地へ。
誰と何をどう話せばいいのか、どう振舞うのが正解なのか、
何もわかりませんでした。
「一緒に帰ろう」と誘ってくれた子がいましたが、帰り道で一言も話せず…。
その子と道が分かれた後、「言えなくてごめんなさい…」と涙を流しながら帰りました。
休み時間は一人で廊下を歩いて時間をつぶすか、
教室後ろの本棚で立ち読みするフリ。
本を開いてはいたものの、
一人ぼっちの自分が周りにどう見られているかが気になってしまい、
内容は頭に入りませんでした。
教卓立てこもり事件
ある日、昼休みが終わるころ、気づけば教卓の下に立てこもっていました。
なぜそうしたのか覚えていませんが、心が限界だったのだと思います。
しかし、真面目さが災いし、10分もしたら自分から出てきて、
何もなかったように移動教室の列に並びました。
帰宅後、親から何か言われるに違いないと思っていましたが、
何も言われませんでした。
本当は、気にかけてほしかったのだと思います。
「戻りたくない!」初めての涙
転校後初めての夏休みに、祖父母宅に数日間帰省しました。
最終日の朝、玄関を出た瞬間、帰りたくなくて大号泣。
初めて「嫌だ!」という気持ちを家族の前に出せた瞬間でした。
けれど、親からの共感の言葉はなく、私もそれを求めることができませんでした。
結局、自分で泣くのを止め、静かに帰りの車に乗り込みました。
なぜ泣いたのかを説明することも、当時の私にはとてもできませんでした。
大反省会の始まり
学校でうまくいかないことがある度に、心の中では「大反省会」が開かれました。
「なんでこんなことも言えないんだ!」
「お前のせいで嫌な思いをさせた」
「人に迷惑ばかりかけて、何の役にも立たない」
自分を散々責めたあと、
「次はこうしよう」と解決策を立て、
「ごめんなさい、ごめんなさい。次こそは頑張ります」と誓うまでが一連の流れでした。
私がいることの罪悪感
孤立感は、罪悪感へ。
私は次第に、「自分が教室にいること」自体に罪悪感を抱くようになりました。
「私なんかがいて、ごめんなさい」
「こんな私をクラスの一員にしてもらっている。申し訳ない」
せめて、できることで役に立たなければ――そう思い、
放課後にクラス全員の机をきれいに並べることを始めました。
私にとって机並べは『罪滅ぼし』でした。
「行きたくない」と言えたけれど
何か特別な出来事があったわけではありません。
ただ、本当に学校が辛くて、ある朝「行きたくない!」と大号泣しました。
はっきりと「行きたくない」と言えたのは、初めてでした。
これまで学校での嫌なことを親にほとんど話したことがありませんでした。
なぜ行きたくないのか問われても、答えられませんでした。
ただ、とにかく行きたくなかったのです。
もう親は期待しない
泣き叫ぶ私を、母は無理やり玄関に放り出しました。
私は泣くのを止め、真っ赤な目で仕方なく登校しました。
そのとき、心の中で決めました。
もうお母さんに期待するのをやめよう。
お母さんを頼るのをやめよう。
家で「辛い」と言うのをやめよう。
親は毎日ごはんを作ってくれます。
お風呂を沸かしてくれます。洗濯や掃除もしてくれます。
それだけで十分です。それだけで感謝すべきことです。
それ以上、何も望むまい。
自分の心に深く釘を刺すように、何度も繰り返し唱えました。

中高生———「私は消えた方がいい」
対人関係が気になりやすい思春期
転校当初は何も話せなかった私でしたが、
少しずつ場に慣れていくことができ、
休み時間に一緒にいる友達を作れるまでに、対人関係は上達していました。
しかし、思春期になり、他者と自分の違いや、
他者に受け入れられているかどうかが、
より一層気になるようになりました。
生きることは罪
『大反省会』の癖はよりひどくなっていました。
「うまく話せなくて無言で過ごしてしまった」
「3人グループで行動しているが、私がいることで二人に気を遣わせている」
そういった些細な出来事を過剰に責め立て、
まるで罪を犯したかのように自分を断罪する会を毎週末開きました。
「やっぱり私は、何の役にも立たない、いる価値のない人間」
「人として当たり前のこともできない」
「私が消えた方が世の中のためになる」
罪悪感がエスカレートし、生きていることそのものが罪だと感じるようになりました。
罪に罰を——「心の自傷行為」
罪には罰が必要。
そう考え、自分をとことん貶め、
心から反省し謝罪することを自らに課していました。
「自分を責めること」をせずには、生きられなくなっていました。
今の私は、当時の『大反省会』を
「心の自傷行為」と呼んでいます。
振り返れば、悲劇のヒロインのように見えるかもしれません。
でも、当時の私は間違いなく、本気で苦しんでいました。
もし誰かに思いを打ち明けて、受け止めてもらえていたら
誰にも言えず、誰にも理解してもらえないと感じる中で、
私の心はどんどんと自分に厳しくなり、
悪循環に陥っていきました。
今だから言えることですが、
もしも誰かに自分の思いを打ち明けて、
ただただ受け止めてもらえていたら、
きっとここまで自分を罰することはなかっただろうと思います。
これを読んでくださっているあなたにも、できるだけ早く、
信頼できる誰かを頼って、
受け入れてもらう経験をしてほしいと願っています。
私の苦悩は、社会人、そして子育てへと続きます。
もう少し辛い内容が続きますが、その後の変化まで今しばらくお付き合いください。
新卒時代 ———意見が自分への否定に聞こえる
自分の意見が出せず、苦悩
学生時代、言われたとおりに課題をこなすことは得意で優等生だった私。
しかし、社会人になると、自分でアイデアを生み出す必要がでてきました。
これは私にとって非常に難しいことでした。
これまで、自分の気持ちより周囲の正解を優先して生きてきたのです。
正解がわからない中で、自分の意見を持つなんて、無理難題です。
自分が思い浮かぶものは全て間違いのように思えてしまい、頭は真っ白に。
それでも意見を発表しなければならないときには、
「これがよくないかも」
「違うかもしれません」と、
自分の考えを否定する言葉を付け足さずにはいられませんでした。
意見=自分への否定と捉え、上司を頼れず
「間違いには自分で気づかなければいけない」
という思い込みが根強くあった私は、
上司に頼れず、期限ぎりぎりまで一人で抱え込んでしまいました。
その結果、厳しく指導されることが繰り返されました。
さらに、上司の意見が自分への否定に聞こえてしまっていました。
早めに聞きたくても、否定される恐怖を前に、
どうしても声を発することができませんでした。
オフィスのデスクでは常に緊張感と恐怖心があり、
いるだけでかなりのストレスでした。
プレッシャーで思考が固まっている中で、
意見は出さなければならない状況。
失敗を繰り返し、自己評価はどん底へ。
この悪循環を繰り返していました。
自分への罵倒と身体の不調
「こんなに仕事ができないダメ人間の自分。
他の人より一段下にいる。私は「普通の人」ですらないのだ。
だから、休憩時間に普通に話して笑うだなんて、あってはならないこと。
自分の立場をわきまえろ。
楽しむような権利はお前にはないのだ」
そう自分に釘を刺していました。
役立たずの自分には少し気を抜いて笑うことも許されないと、
本気で思っていました。
そして、
「こんな出来損ないはいつ見限られてもおかしくないのに、まだ雇ってもらっている」
「せめてもの恩返しを…少しでも成長して役に立たなければ」
学生時代と同じように、仕事を罪滅ぼしと考えるようになりました。
身体の不調、心身の疲弊
身体にも不調が現れ、
原因不明のめまいや食欲不振で3キロ痩せ、
帯状疱疹と十二指腸潰瘍を立て続けに発症しました。
週の終わりの金曜日には、帰宅時やお風呂、ベッドでひたすら泣き通しました。
このまま大して社会の役に立てないまま、
体を壊して早死にするんだろうと感じていました。
夫との結婚を機に退職。
こどもが生まれると、今度は子育ての苦難が始まりました。
子育て ——— イライラと自己否定の繰り返し
思い通りに進まないイライラ
結婚して2年後、息子を出産しました。
育児は全く時間通りに進みませんでした。
早めに準備したつもりでも、想定外のことで時間を取られ
予定の組み直し、組み直し、組み直し…
結局いつもぎりぎり、または間に合わない日もあり、
「今日も時間通りにできなかった」と
毎日が失敗の連続だと感じていました。
家事が一気に増えた一方で、スムーズにやらせてもらえず、
やっとやれると思ってもすぐに呼ばれてまたストップ。
この「家事のぶつ切れ」もとてもストレスでした。
そして、やってほしいことは拒否されるばかり。
いろんなアイデアを調べ、
手を変え品を変えやってみますが、
やっぱり拒否。そしてイヤイヤ泣き。
なだめるために膝に抱っこしてテレビを見て、
毎日やらないといけないことはどんどん後回しに…。
パートの仕事を始めた私は、
特に朝、時間通りに家を出られないことで
毎日のように怒り散らしていました。
息子をやっとの思いで車のチャイルドシートに乗せると、
「もうなんなのー!!」と、
毒のような叫び声を車の中で爆発させるのが日常でした。
息子の発達と焦り
息子は運動発達が遅めで、繊細な気質もあり、
できないことに敏感でした。
2歳後半になっても着替えや靴の脱ぎ履きができず、
私は焦りながら工夫して手伝いました。
「最後のところだけ本人にやらせて、できたら褒める」等、
調べて実践してみましたが、
どれだけ褒めても全く喜ばない息子。
できないことへの拒否感は強いままで、
着替えが始まるや否や脱力し、私に丸投げしてきます。
さらに、園の先生から
「お母さんが手伝ってるからやらないんですよ」
と言われてしまい、
私はどんどん追い詰められていきました。
幼稚園入園を控える中、
「できることを増やさなきゃ」という強いプレッシャーで常にイライラし、
息子と衝突してばかりでした。
育児のストレスと自分の限界
寝かしつけでしばらく寝落ちしてしまい、その後は疲れて家事ができず、
スマホを眺める時間が長くなっていました。
深夜1時にやっと重い腰を上げて皿洗いをしましたが、
洗いながら立ち寝をしてしまうほど、疲労と寝不足が溜まっていました。
夫のいる休日は時間に縛られない予定が組まれていたこともあり、
息子も機嫌がよく動いてくれました。
私の休息にはなりましたが、
私の辛さが夫に伝わらなかったのも私を孤独にしていました。
息子との接待遊びで無感情に
息子には負けず嫌いの特徴もありました。
二人で野球ごっこをしていると、息子が15点取る中、
私がたった1ヒットでも取ろうとするとすかさずズルをして、
厳しい目つきで阻止されました。
絶対に負けを許さない息子に合わせて遊ぶうちに、
次第に「私はこの人の奴隷なんだ」と感じ、
感情が無くなったような気持ちになりました。
爆発するストレスと自己否定の繰り返し
時々、小さな不満が積もり、
「え?そんなこと?」というきっかけで私は爆発しました。
さらに、ストレスがたまると就職したての辛い時期を思い出してしまい、
家族が寝た後に皿洗いをしながら泣き、
そのまま布団の中でも自分のダメなところや辛かったことを反芻し、
寝つけませんでした。
「結局私は…」が脳内の口癖で、
だから自分はダメ人間だと結論づける思考を繰り返していました。
第二子の娘を出産後、
慌ただしい毎日に追われる中で、
「いつまでも過去を引きずる自分を変えたい」
「ネガティブ思考をやめたい」
と思いつつも、動き出せない日々が続いていました。
ネガティブ感情を抱きしめる ———毒出しセラピーの実践
毒のようなネガティブ感情を、抱きしめる?
縁あって、とある心理療法に出会った私。
教えてくれた方からサポートしてもらいながら、
これまで全くやったことがない課題に取り組むことになりました。
それは、
『自分のネガティブで毒々しい感情を素直に吐き出し、
思いやりを持って抱きしめる』
ことでした。
息子の登校不安へのいら立ち
同時期に、小学1年生になった息子が登校を嫌がり、
玄関や学校の門の前で泣き出してしまうことが増えていました。
息子の不安を受け入れなきゃ、と思う私と、
自分も仕事があるので行ってほしい、と焦る私。
週1回程度の欠席と、
毎朝の遅刻や保健室登校を受け入れることにしたものの、
いつまでも玄関や送迎の車から出ようとしない様子を見て、
私の目つきは鋭くなり、怖い声で息子を急かしてしまっていました。
決めた休みの日にも
「本当は行くべきなのに行っていない」という事実にイライラが抑えられず、
事あるごとに小言を浴びせてしまっていました。
どんなネガティブ感情も「あっていい」
息子が寝た後、
私はその日のイライラを思いつくまま書き出しました。
すると、こんなドロドロとした本音があることに気づきました。
『学校に行かないのはおかしい』
『早く学校に戻って私を自由にして欲しい』
『この子を受け入れられない私は心が狭い』
『私は自分勝手。自分の都合ばかり押し付けている』
『一緒にいるのが辛い』
『わが子が「普通のルート」から外れてしまうことが怖い』
これらは、他責や自責、凝り固まった価値観など、
毒々しくて『見たくないもの』ばかりでした。
私は、こういった気持ちをそのまま言語化し、
徹底的に
「そう思うんだね」「それは辛いね」と、
温かく受け入れました。
他の人が聞いたらどう思うかなんて関係ありません。
もっとしんどい状況でも上手くやれてる人もいる?
そんなの、関係ありません。
私が辛いから、辛い。
私が怒っているんだから、それは怒るようなしんどい状況だと、
自分の毒々しいネガティブ感情を、
抱きしめるように優しく受け入れました。
ネガティブ感情の奥にいた『あったかハート』
ゆるぎない愛=「あったかハート」に気づく
すると、驚いたことに、
毒々しいネガティブ感情が、まるで炭酸の泡が弾けるように、
シュワアアっと消えていくのを体験したのです。
これは感じたことのない気持ちよさでした。
ネガティブ感情が消えた後、残ったのは純粋な願いでした。
「息子に幸せでいてほしい」
「生まれてきて良かったと思える人生にしてほしい」
見つけたあったかくてキラキラした願いを、
涙をぼろぼろ流しながら日記に書き留めました。
ネガティブ感情の奥に、ゆるぎない愛を見つけたのです。
息子がくれた言葉
そんな中での出来事です。
その日の私は元々疲れていた上に、イライラがたまっていました。
いつものように息子から立て続けに来る要望。
「ママ来て」「ママやって」に疲弊しながら、
やっとお風呂までこぎつけたところでした。
私が1歳の娘と先に入浴していると、
息子が扉を開けたと同時に、
「(おもちゃの)線路が壊れたからママ直して」と言いました。
やっと入れたお風呂。
娘がいるし、私も髪が濡れていて、すぐに行くことはできません。
こういうとき、
これまでの疲れきった私なら、こう言っていたかもしれません。
「無理だよお風呂入ってんだから。
もうなんでこんなときまで私の邪魔してくるの!」
ですが、このときの私は、
湧き上がるイライラを感じながらこう言いました。
「そっか。うん。
ごめん。私、〇〇くんのことが大事だから、
そうなんだ〜って落ち着いて聞いてあげたいし、助けてあげたい。
でも、今日はママとっても疲れていて、
その言葉に落ち着いて返事ができそうにないの。ごめんね」
自分の疲れや余裕のなさを、
怒りで出さずに、落ち着いて伝えられたのです。
すると、息子が一言、こう言いました。
「ママすき」
私の目にはたちまち涙が溢れました。
そうだ。一番伝えたいことは、これだ。
「ありがとう。ママも大好きだよ」
不完全なままで愛される
私がもし、
「自分でやってよ」とか
「何回もこっち来ないで」と言っていたら、
きっとこの言葉を聞くことはなかったと思います。
自分の気持ちと息子の気持ち、
どちらも大事にしようとしたことで、
息子から、思いがけない宝物をいただくことができました。
不完全な私を受け入れることは、
不完全なまま愛されるということなのだと、
息子が気づかせてくれました。
同じように息子も不完全であり、
だから私は息子が愛おしいのだと気づきました。
まとめ ——— 完璧でない自分を愛する
これまで、
不完全な自分を罰することで、
やっと自分の存在を許すことができていた私。
今は、
不完全な自分を
「人間らしくて愛おしい」と思えるようになりました。
すると、
心に余裕が生まれ、
うまくいかなかった日も
「私なりによくやった」と思えるようになりました。
息子の欠席や遅刻もあまり気にならなくなり、
そのうちに息子は
これまで通り教室へ登校するようになりました。
私は今でも、
誰かに意見されると自分が否定されたように感じたり、
失敗すると消えたいくらい恥ずかしくなって動揺したり、
何でもないことでも疲れやすい性質を持っています。
ですが、そんな自分だからこそ、
より深く丁寧に、
他人の言葉や気持ちを感じ入ることができるし、
同じような考えや感情に悩んでいる方に、
心から寄り添うことができます。
これらの特徴はコンプレックスから、
私の魅力へと変わったのです。
同時に私は、
「何があっても、
私には世界一の味方である『私』がいるから大丈夫」という
絶対の安心感と、
「できるかどうかじゃなくて、やりたいからやってみよう」という
根拠のない自信を手に入れました。
これらは全て、
自分の本音を優しく受け入れることで、
私の中で育っていったものです。
さあ、次はあなたの番です
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたは、きっと心優しい方なのだと思います。
自己批判、自己否定の癖は、
何歳からでも変えることができます。
ネガティブ感情は、
自分にも他者にもぶつけずに解消していくことができます。
「自分を好きになる」
これは精神論ではなく、実現可能な「技術」です。
しかし、それを身につけるためには、
的確なメソッドと、それをやりきるための伴走者が不可欠です。
長年の感じ方や考え方の癖を
自分一人で変えるのは、正直難しいのです。
すでにいろんなチャレンジをされた方は
そう感じていらっしゃることと思います。
私も同じです。
伴走者となってくれた方がいたから、変われました。
私と一緒に、未来を変えてみませんか?
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